古/いにしえの面影       其の六百四拾弐

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2009年11月22日 土曜日

京都府南丹市美山町芦生(京大演習林)U
京都も広い〜奇跡のような
原風景を堪能〜
本研究林は、気候区分では日本海型と太平洋型の移行帯に位置し、
植生区分の上からも暖温帯林と冷温帯林の移行帯に当たるため、植物の種類が多い。
著名な分類学者の中井猛之進博士が
「植物ヲ學ブモノハ一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ」(1941)と書いた森林である。
京都大学フィールド科学教育研究センターHPより

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

名残の庭花

※橋渡ります。
 

トロッコの幅ギリギリ…
スタンバイミーの世界。。。
 

水量多く〜
上流側

※下流側〜
カヌー乗れそう??
 

大人子供が行きます!

※蛇類の保護を〜!
マムシ酒はNG!!
 

森林鉄道満喫!

※水飲み場
 

下枝手入れされてます。

※お墓の跡。。
人の息吹
 

勾配は少なく
歩きやすいが滑ります。。

※谷渡りは板敷き。
 

ふん〜これなら
十分カヌー乗れますと。。
流石〜由良川源流域!

※保安林です。
 

台杉
時が経てば君も〜

※経ち過ぎた幹に
イタチ?の糞〜
 

寛永15年(1638) この頃より由良川下流15Kmにある南・北村
さらに中・田歌村から芦生奥、赤碕・灰野などに山番を派遣して定住させる。
翌年には赤碕より更に奥、小ヨモギ・大ヨモギなどに南村より12人定住する。
慶安3年(1650)北村より7人灰野に定住する。
更に奥、七瀬・中山にも 寛文5年(1665)に木地師が居住していた記録があり、
その後も 各地に居住する人達がいたが 昭和35年に灰野が廃村となった時
には由良川最上流の集落であった。
最盛期には 八軒、旅人相手の宿もあって、今も芦生の集落に残っている
松上げや、盆踊りが盛大に行われていた。
人のよっては山仕事の他ヤマメを釣って売り、
冬には狩猟を行って生活していた。
(灰野の歴史看板より)

※赤崎・七瀬/須後(芦生山の家)
人の息吹〜
 

ここは灰野
佐々里峠は谷の上〜

※佐々里峠
ん?三時間。。。又ね〜又。。
 

九ヶ字財産区
(1921年に京都帝国大学が知井村九カ字財産区管理委員会より
九十九年の契約で共有林に地上権設定。) 芦生ゼミ資料より

ここも、ダム建設計画が有ったんですね。

※20分歩きました〜^^;
 

ここのランドタワー的な
トチの木が見えてきました。
枕木の補修材も積まれて。。

※倒れたトチの木に
苔生して〜
 

自然に回帰します。

※誰?狐さん乗せたのは??
 

人々の信仰は
何所ででも。。

※祠に名は無い。

 

一級河川〜
由良川表札!

※先生〜
蔓引っ張りましょか??
これ!
 

水量は豊富〜
乗れまっせ!

※雨はショボショボ〜
 

人の営みの名残〜

※帰りましょ〜
 

エエ顔して〜!


 

トチの実の名残

※ポイント〜
 

秋イチゴも〜

※秋色。。
 
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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