古/いにしえの面影       其の六百五拾五

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年02月13日 土曜日

岡山県瀬戸内市邑久町牛窓T

瀬戸内海には北前舟が活躍していた頃、
潮待ち・風待ちの良港の一つ。
元禄8年(1695年)津田永忠により百間波止が作られ
各西国大名の御座船が旗印を翻して入港したとか…
此処には、朝鮮通信使節使の船も寄港し
中心部にある本蓮寺が宿舎として使われた。
朝鮮伝来といわれる唐子踊りは、その名残だとか。
日本のエーゲ海とも呼ばれた地区。
西町辺りをブラリ〜

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


基本的にはこの図のような地形です。
ただ、海岸線と家々の間に
新しい道路が付いています。
昔から賑やかだったんですね。
バックの山向こうが尻海です。
 
旧のメイン道路です。
この広さ(狭さ)です。

※常夜燈篭
昔からの玄関口でしょうね。
後ろが海遊文化館
その後ろが〜

船溜りでもあったんでしょうね。
ニコニコ食堂なんて楽しそう〜

※今の岸壁で
の〜んびり
釣り糸を垂れて。。

この地区の重要な交差点。。
ここに牛窓の道路元票標が
有ったんですと。

※関町だんじり蔵
 
しおまち唐琴通り地図
地車3基有るんですね。
海岸縁に家屋が集中してるのが
良く分かりますよね。

※岡山城下から牛窓港に至る、
六里二十八町の道程を牛窓往来と
呼ばれ、岡山藩の政治・文化・経済などの整備とともに
寛文・延宝年間(1661〜1680頃)に
港も整備されたとか。

東町方面

前島との間は
牛窓瀬戸

※コンビニエンス
フードショップナカニワさん
「カンゾー先生」(1998年、今村昌平監督)
昭和20年、戦時下の岡山県の小さな漁師町を舞台に、
患者を肝臓炎としか診断しない風変わりな町医者と
彼を取り巻く町民たちの生き様を描いた人間喜劇。

のロケ地が前とか。
アミエビを買いました。。^^v

映画にも出たとか〜
お店の中のツバメの巣

※ここから出入りするそうです。
大変でしょうが…
「お世話になります〜
と毎年来ます」と
おかみさんが笑われてました。

備前焼の牛

※エエナァ〜

海に向かう路地。

※山への・・・

割烹旅館川源さん

※お洒落な造り。

千本格子が綺麗です。

※ナカヤ洋品店さん
立派な造り。
存在感が。。

焼き板に
腰下は石積

※潮風のせいで
焼き板家屋が、多いこの地。
ナカニワのお上さんが〜
「昔、アンノン族のお嬢さんが
『此処は、町ごと火事だったの?』
聞かれたことがあり
答えに困った」と
笑われてました。

黒島が〜

※前島から
フェリーが。。。

瀬戸内の綺麗な
海が広がっています。

ん〜でも、何とか
保存していただきたいなぁ〜

※やばそう・・・

泳いでも行けそうな〜
行きませんか?浮ドン。。

※このフェリー乗って。

本瓦にうっとりと〜

※千本格子にも〜

御祓い
まじない。。



白壁土蔵〜
頑張れ!

※一本一得

高祖酒造発祥蔵
古くから瀬戸内海の要港として栄えた牛窓港で、
江戸時代から町の人々をはじめ西国大名、
朝鮮使節、内海を船路で往来する人たちに、
備中屋・高祖の酒「千寿」として親しまれてきました。
現在も素晴しい環境の中で備前米を高度精白し、
吉井川の伏流水をふんだんに用い、
備中杜氏の技術によって醸造しております。
燗で良し冷やで良し、味は甘からず辛からず、
飲みあきしないうまくちの酒です。(HPより)
今度は飲みます〜!

※立派な造り〜


本瓦の母屋が
青空に映えます。

※母屋は明治20年代
酒蔵は天保年間。。
なんとか〜
お店は此処ではないみたい。
朝鮮通信使
滋賀も思い出しながら〜
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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