若宮八幡宮さんの
拝殿、此処に来たかったんですわ!
※八幡フォント〜
鳩文字。。
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境内には土俵が〜
力石をお聞きしたら
ここらは、相撲とか。。
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招魂碑
日露戦争戦没者11名
大東亜戦争戦没者約90名
戦いの激しさが分かりますね。
黙祷〜
※鎮座500年記念
国旗掲揚台。
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天明四年(甲辰・1784年)
北前船(西回り航路)の全盛期でしょうね。
※年に一度の航海で
多くの富が〜
廻船持ち船主の名が〜
(前には)
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石灯篭フェチとしては
この対の物に会いに。。
※薩摩屋藤太夫の銘
安永7年(1778年)
中国風を背景に持った
琉球・南薩摩様式の
石灯篭だそうで。
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市重要文化財
平成16年とは遅いのでは??
※こなれた手水鉢
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燈篭の上の龍の飾り
本瓦やし〜
※狛犬も。。
獅子??
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阿
※吽
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山門先は
海だったんですね。
※うっとりです〜
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脚の銘
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境内には合祀されている
多くの神々が〜
※本殿
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燈篭奉納 願主
平野屋源右衛門
※安永三年
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天照大神
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若宮八幡宮の
横に神田稲荷さんが在ります。
ほぼ、同じ感じで神社が空間共有しています。
備前焼の狐さんや
独特な空間のデータが飛んでいます。
(言い訳ですが…残念!)
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何故か
神田稲荷社の方が地元では
有名なんでしょうか?
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銀杏に栴檀の実も〜
※のどかに〜
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神社の裏参道
※石垣もしっかり組まれています。
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屋内保管のためか
色が鮮やかで
筆使いも生々しい。
※源平の一場面?
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赤穂義士の討ち入りの場面。
※鬼と首相撲
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文字通り
奉納絵馬
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ヤマタノオロチ
※鹿や十二単。。
南都の一場面でしょうか?
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この絵馬にも会いに着たんですが〜残念。
廻船・尻海古景の図 天明5年
尻海は岡山の加子浦の一つ
右が平野屋喜八郎所有「弁天丸」帆が16反。約300石(45t)
左は薩摩屋孫次郎所有「千秋丸」帆は12反。約150石(25t)
どちらも、浜田の廻船問屋の記録にもあるそうで、
日本海まで行っていたとか、。
背景には当時の尻海の町並みや、この神社も。。
手前の島が上から見えた山ですね。
※朝鮮通信使船図 正徳四年(1714年)
対馬〜瀬戸内海〜京都〜江戸城
沿道の諸藩には莫大な費用と人員で接待されたとか。
この船には「上々官(通訳)第一船」だそうで、
日本には数少ない絵馬だそうです。
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干将莫邪図 寛政四年(1792年)
画家は秋田藩士 田代忠国。
当時、秋田藩は、銅山開発のために
平賀源内を招き、藩内には
多くの欧州画家が生まれたとか。
当時、廻船問屋平野屋は
秋田藩の御用も務めていたとか。
※相撲図 江戸後期寛政(1789〜1801?)
曽我物語の一場面
河津三郎と俣野五郎が
源頼朝の前で相撲を取っている場面
1畳以上の檜の一枚板に書かれていたとか。
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上の船は
弁才船(千石船・150t積めたそうです)
※左から伊勢神宮参詣図
摂津一宮(住吉神社)の図
薩摩藩御座船図(河川用2階建)
スミマセン見難いですが…
各地との関わりが多い地区だったんですね。
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拝殿・絵馬堂から
数年前に火事があり
近所の方が大切な絵馬を
運び出したとか。
その後、岡山の美術館に
保管してもらっているのがあると伺いました。 (地元の方、話による)
※神主さんと皆さんの写真が〜
この中におじさんが…
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