古/いにしえの面影       其の六百五拾四

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年02月13日 土曜日

岡山県瀬戸内市邑久町尻海U(若宮八幡宮)

瀬戸内海には北前舟が活躍していた頃、
潮待ち・風待ちの良港の一つ。
長浜湾に有る此の地は、古来よりの港であったが
昭和36年の埋め立てで港の機能を失った。
その後の埋立地は、塩田、空港等の利用計画が
有ったが、塩田は時代に、
空港は軟弱地盤によりだめだったとか。
(地元の方、話による)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


若宮八幡宮さんの
拝殿、此処に来たかったんですわ!

※八幡フォント〜
鳩文字。。

境内には土俵が〜
力石をお聞きしたら
ここらは、相撲とか。。



招魂碑
日露戦争戦没者11名
大東亜戦争戦没者約90名
戦いの激しさが分かりますね。
黙祷〜

※鎮座500年記念
国旗掲揚台。

天明四年(甲辰・1784年)
北前船(西回り航路)の全盛期でしょうね。

※年に一度の航海で
多くの富が〜
廻船持ち船主の名が〜
前には

石灯篭フェチとしては
この対の物に会いに。。

※薩摩屋藤太夫の銘
安永7年(1778年)
中国風を背景に持った
琉球・南薩摩様式の
石灯篭だそうで。
 
市重要文化財
平成16年とは遅いのでは??

※こなれた手水鉢

燈篭の上の龍の飾り
本瓦やし〜

※狛犬も。。
獅子??



※吽

山門先は
海だったんですね。

※うっとりです〜

脚の銘



境内には合祀されている
多くの神々が〜

※本殿




燈篭奉納 願主
平野屋源右衛門

※安永三年

天照大神



若宮八幡宮の
横に神田稲荷さんが在ります。
ほぼ、同じ感じで神社が空間共有しています。
備前焼の狐さんや
独特な空間のデータが飛んでいます。
(言い訳ですが…残念!)

何故か
神田稲荷社の方が地元では
有名なんでしょうか?



銀杏に栴檀の実も〜

※のどかに〜

神社の裏参道

※石垣もしっかり組まれています。

屋内保管のためか
色が鮮やかで
筆使いも生々しい。

※源平の一場面?

赤穂義士の討ち入りの場面。

※鬼と首相撲

文字通り
奉納絵馬



ヤマタノオロチ

※鹿や十二単。。
南都の一場面でしょうか?

この絵馬にも会いに着たんですが〜残念。
廻船・尻海古景の図 天明5年
尻海は岡山の加子浦の一つ
右が平野屋喜八郎所有「弁天丸」帆が16反。約300石(45t)
左は薩摩屋孫次郎所有「千秋丸」帆は12反。約150石(25t)
どちらも、浜田の廻船問屋の記録にもあるそうで、
日本海まで行っていたとか、。

背景には当時の尻海の町並みや、この神社も。。
手前の島が上から見えた山ですね。

※朝鮮通信使船図 正徳四年(1714年)
対馬〜瀬戸内海〜京都〜江戸城
沿道の諸藩には莫大な費用と人員で接待されたとか。
この船には「上々官(通訳)第一船」だそうで、
日本には数少ない絵馬だそうです。

干将莫邪図 寛政四年(1792年)
画家は秋田藩士 田代忠国。
当時、秋田藩は、銅山開発のために
平賀源内を招き、藩内には
多くの欧州画家が生まれたとか。
当時、廻船問屋平野屋は
秋田藩の御用も務めていたとか。

※相撲図 江戸後期寛政(1789〜1801?)
曽我物語の一場面
河津三郎と俣野五郎が
源頼朝の前で相撲を取っている場面
1畳以上の檜の一枚板に書かれていたとか。

上の船は
弁才船(千石船・150t積めたそうです)

※左から伊勢神宮参詣図
摂津一宮(住吉神社)の図
薩摩藩御座船図(河川用2階建)
スミマセン見難いですが…
各地との関わりが多い地区だったんですね。

拝殿・絵馬堂から
数年前に火事があり
近所の方が大切な絵馬を
運び出したとか。
その後、岡山の美術館に
保管してもらっているのがあると伺いました。
(地元の方、話による)

※神主さんと皆さんの写真が〜
この中におじさんが…
朝鮮通信使
滋賀も思い出しながら〜
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
ページトップへ戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.