古/いにしえの面影       其の六百五拾参

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年02月13日 土曜日

岡山県瀬戸内市邑久町尻海T

瀬戸内海には北前舟が活躍していた頃、
潮待ち・風待ちの良港の一つ。
長浜湾に有る此の地は、古来よりの港であったが
昭和36年の埋め立てで港の機能を失った。
その後の埋立地は、塩田、空港等の利用計画が
有ったが、塩田は時代に、
空港は軟弱地盤によりだめだったとか。
(地元の方、話による)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


海瀕舟行図より
真中部分湾の奥、
赤線引きが尻海
地形的に台風などの逃げ込みには
ピッタリかと。。
 
岡山ブルーライン
道の駅一本松展望園にて
起床!

※瀬戸内の朝日が眩しい。。

あの半島の向こうが
牛窓。。

※この埋め立てられた
(昔は塩田)が
尻海

道の駅の建物
向こうが広大な埋立地。

※尻海の街並みが呼びます。

GPS用の電子基準点



おかぁちゃん〜
¥100-入れてんか〜〜〜!



備前焼の本場!
破れがオブジェ。。
火襷の綺麗な色です。

※ぬばたまの〜

薄氷が張っていました。

※日向ぼっこ…
ニャンコ〜ガンバ!
 
昔は、実際にこの釜を何十と置いて
塩を作っていたとか…
街で、当時作業されていた
おじさんに教えていただきました。

※看板・説明文
付けて置いて欲しいですね。
行政さん。。
文化遺産でっせ!!

元は、海岸辺の漁師町の様な佇まい。
当時の賑わいは、
上から見ただけでは分かりません。
広大な埋立空き地…
小山は昔の島だとか・・・

『干潟のような干拓地は、いつまでも軟弱で〜
ブルドーザーが一台埋まっているんだとか。。
海を手放して、塩田に〜その後は空港に…
時代に、翻弄されています』とも・・・
(前出:おじさん談)

※元々の隣町への道は
道路に分断され
歩道橋でしか渡れない。。
動物はどうするの??

朝の小道を
下っていきます。

※昔は街の外れが
墓地でした〜
人の歴史を感じながら…

梅には、まだ早い頃でした。

※墓標には
丘に行けば春光海の彼方より
嶺にかかる豊旗雲や神の旅

古人の往来が感じられる
銘文ですね。
 
墓地が点在し
多くの方が、眠られています。

遥か〜前出の北風家も関係してたんでしょうね。
〈菜の花の沖〉読んでみたくなりました。

北前船や朝鮮通信使・異国からの船
が此の浦に帆を張っていたなんて〜
ウキウキしませんか?

旧郵便局

マークにも拘りが〜

此の路地奥が
海岸でした。。
潮風が少し〜〜

※木枠も…
窓飾りも御洒落。。

白壁だったんでしょうね。
見たかったなぁ〜

※ここがメインロードだったとか。
後の牛窓もそうでしたが
自動車時代には不向きだったとか・・・
■□■残念ながら〜
次頁の神田稲荷さんと、
話をお聞きしたおじさん・
感じの良い路地など
メディアか私の不徳の致す所か、稲荷様の祟りか〜
データが飛んでいましたスミマセン。。
再度訪問したいです。□■□

こちら側が
浜側だったとか〜

※唐臼見っけ!

浜側から
郵便局側を見ます〜



1985年の鑑札が付いています〜
木製電柱健在〜ガンバ!

※ここにも。。

往年を思い出されるような〜
海鼠+瓦壁

網タイツではありません。。

メインストリート
突き当たりは地車庫

右:かんだ道

※小さな庵も〜

消火器庫
道標〜

※舟板でしょうか?
マイブリッジ〜^^;

神田神社
石標

※石の蓋

水汲み場〜
おかみさん達の
話し声が聞こえそう〜

※此処にも…
規模は、ちいさいですが。

先ほどの庵〜
日当たりが良いんでしょうね
梅の花が少し〜

※学校も斜面との戦い。。

こんな風景の中〜
小学生は通っているんですね。
玉津小学校


いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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