古/いにしえの面影       其の六百拾六

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2008年07月05日 火曜日

大阪府柏原市(柏原舟)

前のデータを引っ張り出して〜

大阪から亀の瀬を通る龍田越奈良街道の要衝であり、
かつ石川と大和川が合流した直後の下流に
位置したため、農業地、商業地として栄えたが同時に水害にも悩まされてきた。
特に元和6年(1620年)と寛永10年(1633年)に立て続けに起こった大水害では
柏原地域に壊滅的な被害をもたらした。
当時の代官であった末吉孫左衛門長方は、大坂・京橋と柏原の間に物資運搬船を
行き来させ、その売上で地域の復興を行うことを考えた。
それが「柏原舟」の始まりであり、上流の「国分舟」と合わせて
19世紀末ごろまで大いに栄えた。

1704年に大和川はこの地の南で西方向へ付け替えられたが、付け替えに際し、
柏原近辺では水運に大打撃が出るとして反対している。
(Wikipediaより)
 

前に怪しい親爺ワッパの会で来ています。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


柏原舟舟溜まり跡
公園に成っています。

※水門が〜

水路に舟が
行き来してたんでしょうね。
でも、いくら高瀬舟でも
水深が足りない。。

※マイ橋!

この公園が
舟溜まりだったとか。

※木製被覆。

前に来たときには
無かった石碑

※大阪、京橋方面に
運ばれていたんですね。

今では井路ではなく
道路が網目状に。
信貴山の麓

※水は当時と同じ??

何とか残して欲しいものです。

※この路地も
船頭さんが往来してたんでしょうね。

先から聞こえませんか?
その声が〜

※何とか〜

カンゾウが揺れてました。

※ハリガミお断り!
琺瑯の主張。。

この景色が〜

※石橋も
 
 

高倉も〜

※川端沿いを〜

鬼瓦
口を閉じて。。



三田家
鏡遊び〜

※重要文化財
三田家

本瓦、軒の低い虫籠窓
大戸も広い〜
煙り抜きも。



干鰯(ほしか)は北前舟・大阪から
油粕(菜種から油を搾り取った残渣)は
地場から



庇の桟が〜

※白木のコナレが良いですね。

此処にも駒繋



近くの住宅。

この御家も中々絵になります。

※防火用水桶も
木製

空気抜き

※木目が綺麗〜

これ以上、コナレナイヨウニ!

振り返ると〜
エエですな。

※此処も高倉。

先生も
思わず、エエなぁと〜

※角家も好きなんです。
『ワッカン!(UFO先生は、いつも私をそう呼んだ)
エエ時期ヤネ〜遊びに行こか!』いつもの…電話。。
この一連のページを、昨年末に急逝された
私が大好きだったUFO先生に奉げます。
一番の理解者で&応援して頂きまして
ありがとう御座いました!涙

いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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