古/いにしえの面影       其の六百拾七

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2009年12月12日 土曜日

滋賀県西浅井町(塩津神社)

近江と呼ばれる琵琶湖は、古くから奈良・京都と密接な関係で
大陸から若狭に上がり山一つ越えて湖北から船を出せば
湖南までは一直線の歴史的、物資的の回廊であった。

塩津は古来より、敦賀と琵琶湖の水運を結ぶ
主要道「塩津街道(しおつかいどう)」の基点として栄えた。
特に、塩津湾に臨む塩津浜は「延喜式(えんぎしき)」にも
北陸との経由地として記されているほか、
海津(かいづ)、大浦(おおうら)と共に、湖北3浦としても有名。
近世に至るまで、北陸から京都大阪に向かう物資の多くは
陸路「塩津街道」を通り塩津に運ばれ、
ここから船に積みかえ、琵琶湖を渡り大津で陸揚げし、
そこから陸路、目的地に運ばれた。
交通手段の変化により、湖上交通は、
現在では全くその機能を失ってしまいましたが、塩津の街並や、
街道常夜灯に往時の繁栄を偲(しの)ぶことができる。
(滋賀県埋蔵文化財センター参照)

 

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 最盛期の延宝5年(1678)には125隻の丸子舟が
ここの港に有ったとか。

湖岸では、須恵器(すえき)、土師器(はじき)、
輸入陶磁器(ゆにゅうとうじき)、国産陶磁器等の破片が大量に散布しており、
近くに大いに栄えた遺跡があることを窺うことができる。

 

万葉集にも歌が残っています。
『味鎌の塩津を指して漕ぐ舟の名は
告りてしを逢わざらめやも』

※多くの船頭集の声が
響いたんでしょうね。

水深は浅いんですがね。

※野積の石垣向こうに
賤ケ岳方面

琵琶湖の一番北に当たる
この地。

※賤ケ岳方面

塩津神社
新しい国旗掲揚台が
ありました。



大正12年の
神社銘石柱

古来、近くの池で
塩を作っていた人々が
塩土老翁神を祭ったとか。
江戸中期には伏見稲荷を勧請したとか。

※洗心
瓦が立派

神輿庫



琵琶湖向いて
堂々と~

※奉納銅馬も~

屋根とは別に
拝殿には
雪除けが付いている。



元禄7年(1694年)に
長浜の大工藤岡甚兵衛光守作とか
藤岡家は湖北で神社建築で
活躍したとか。。

※内部にも彫刻が~

一間社流造も本殿。
ほんに彫刻が綺麗です。
板支輪は
波(雲?)


拝殿も良いですがね。




汐日組
氏子さんのグループですかね。
宮司さんに聞けばよかった。。

※少しパラリと雨が~

いえね、力石のことをお伺いしたんですが~
この地区には風習が無いと…
有るとしたら相撲がこの上で取られていたとか。

※ではと…
銀杏の落ち葉で埋もれた石段を滑りながら…

下の神社横に

※土俵が有ったと~

此処の左側です。

※先は愛宕社?

少し向こうに琵琶湖が…

※木立の眼下に社殿も…

平成の御大典記念鳥居

※紅日組さん

釜で沸かした湯で邪気を払う
「湯立神事」のためのかまど?

※雨で落葉した紅葉も
生き返る。。

自然石使用した
灯篭~

※新しい狛犬
 
下は明治元年の狛犬さん達なんですね。

※手水の瓦も良いです。
 

旧船持中

※やはり明治期に向かって
文明開化で時代は動いたんでしょうか?

江戸から明治~
吼えてます!

※ブロちゃん
気をつけ!

昭和48年の灯篭~
コナレが少ないが
良い意匠~

※駐車場にも
石灯篭~

昭和33年建立の
忠魂碑。

※太平洋戦争のものですね。
塩津浜遺族一同
お疲れ様でした
安らかに…

いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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