古/いにしえの面影       其の六百九拾九

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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 撮影日  2010年04月09日 土曜日

富山県射水市八幡町(放生津八幡宮)

ホタルイカの身投げに行かへん?
何それ??

で、此処に!

746年(天平18年)に大伴宿祢家持が越中の国司として赴任した時に奈古之浦の風光明媚な景色を愛し、
豊前の国(現在の北九州から大分北部)から宇佐八幡神を勧請したのが始まりと伝えられています。
その後、北条時政が再興したと伝えられ、正和年間(しょうわ ねんかん、1312年から1317年)に
放生津城主 名越時有(なこし ときあり)が社殿を造営、
永禄年間(1558年から1569年)に上杉謙信の兵火にかかり社殿が焼失しましたが、
後に放生津城主 神保長職(じんぼ ながもと)により再興されました。
 現在の社殿は、大坂城西丸の修復に当たった高瀬輔太郎(たかせ すけたろう)が棟梁となり、
1863年(文久3年)に再建されたものです。拝殿には矢野啓通(やの たかみち)作の大狛犬が安置されています。
 「新湊曳山祭り」の名前で知られる10月1日に行われる秋季例大祭の神輿渡御に供奉する
豪華な13本の曳山(花山車)は、1650年(慶安3年)に創設され1697年(元禄10年)には全ての曳山が出来上がりました。
翌10月2日の本祭りに飾られる築山と放生津八幡宮築山行事(神事)は、
古代の素朴な信仰形式を継承する貴重な民俗資料として富山県指定無形民俗文化財となっています。

(いこまいけ高岡HPより)

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放生津八幡宮さん
立派な鳥居!

※魚取社へ〜
海に続く路地

放生津八幡宮社殿の正面は、こちら〜


 
大きな石灯籠〜氏子船頭中
流石〜北回船の寄港地の面目躍如!!

※八幡フォント〜(鳩文字、私が名付けました)
ここにも健在!

嘉永元年銘〜

※奉納砲弾
説明は無し。。
日露戦争時分のでしょうか?

卯尾田毅太郎像
太平洋戦争中に行われた唯一の国政選挙、
昭和17年(1942)の第21回衆議院議員総選挙で
当選し空襲にて戦死されたとか
(Wikipediaより)



左から
乱石一方面積(切込みハギ)

玉石往復積(たまいしいってこいづみ)
玉垣や石灯籠も廻船船方中のもの。

※境内地は広い〜

宝物殿の扉には
漆喰で鳥居が〜
綺麗です。。

※霊枩殿(枩=松なんですね)
松並木が綺麗だったんでしょうか?


霊枩殿の頑丈そうな漆喰
窓の庇も意匠が細かい(職人のニヤリ)

※社殿は、大阪城西丸の修復に当たった
高瀬輔太郎(たかせ すけたろう)が
棟梁となり、文久3年に再建。

奈呉町釣方漁師連中寄進
弘化三年 矢野啓道作(当時19歳)
ケヤキの寄木造り



彫刻が綺麗です〜

狛犬というより
獅子ですね。

※深い彫が特長とか。。

阿(160cm)

※吽(150cm)
大きいですよ〜まだまださん

本殿社内には
右大臣左大臣
奉納馬も鎮座して〜

※絵馬は当り矢!

銅製奉納灯篭も大きい〜

※流石〜木彫りで有名な地区ですね。

龍も生き生きと〜




柱には装飾は無いですが〜

※堂下の土台は石組み

綺麗で堂々とした
姿形!



万葉の花
フジバカマ再び〜

※万葉歌碑
越中守大伴家持宿禰の歌
東風 いたく吹くらし 奈呉の海人の
釣りする小舟 漕ぎ隠る見ゆ

祖霊社
合祀された神様方

※アンチョコ〜^^;

砂浜が沖に向かって
2kmも続いたとか〜
昔から風光明媚
だったんですね。

※石碑

ゴイサギが営巣中〜




手水鉢



ここの龍も負けじと…

※庇受けも〜

国旗掲揚台は
船のマスト??

※13基の曳山(花山車)が並ぶとか〜
「北前の望楼百年夏の海」
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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